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R65おじさん

東京都

北海道歴8回目

7/8
青森→函館

7/19
函館→青森

BMW
R65

【旅費】
10万円

【最高】
裏摩周展望台
宗谷丘陵
道道及び農道

【思い出】
運良く2年連続で行けました。
今年も青函船利用です。高速での移動も旅のうちと思っています。仙台をすぎると一気に大好きな北東北です。外環道、東北道経由、青森港まで9時間でした。
今回は32年前の旅を一部たどることもテーマにしています。

初日
今年は8日の朝11時に自宅をスタート、22時15分発の船に乗る。
今年は、日本海に沿って松前経由のルートを取る。
午前3時を過ぎると明るくなってきた。残念ながら小雨、晴れていたらすばらしい景色だと思う。
笹川流れが延々と続く感じ。
途中、道道740号線に入り行き止まりの太田集落へ行く。ここは昔から聖地であり、威厳に満ちた清らかな雰囲気、寄って良かった。
途中、泊原発を遠望、水道の水にも放射能を意識する日々、胸中複雑なり。
神威岬近くの野塚野営場(無料)に小雨の中テントを張った後、近くの温泉に入る。沖には漁り火が多数見えた。
夕餉には白貝を10個ばかり購入し食す。21時、波の音を聞きつつ熟睡す。

2日目
快晴弱風の神威岬へ行く。すばらしい景観、雰囲気、海の青、展望台に立ち満たされる。
残念ながら岬への道は、崩落のため100m程で閉鎖。ここで昔の灯台守の方々の苦労を思う。
家族連れで辺境に暮らし、任務遂行した事に尊敬を覚えずにいられない。
この後は、積丹岬に寄り、積丹ブルーを堪能。この時、屈斜路湖和琴半島への移動を思い立ち、小樽から高速に乗り一気に移動。
途中、オンネトーに後ろ髪を引かれつつ通過、夕刻にキャンプ場到着、大半がバイク客。
夜、星空を眺めつつ露天風呂に入り幸福を得る。
夕餉は、ジンギスカンを食す。

3日目
3割方雲の晴れ。
早朝の湖面に一定の規則正しい小波立つ、朝日に映え美しい音楽を見た様だ。
連泊の為、身軽に朝6時半出発、愉快なり。
まずは美幌峠へ行く、何度来ても良い。
摩周湖第一展望台では、無風にて湖面に青空に浮かぶ雲の姿が映る、すばらしい景観であった。
硫黄山にて地元の農家の方より温泉卵を購入し食す。自家製卵とのこと。かの地はまさに噴火口の中、世の地獄と称する地に比してその規模第一と思う。これまで寄らなかった事を反省す。
この後、多和平、細岡展望台に行く、その景色に暫したたずむ。
生牡蠣の購入を思い立ち、厚岸へ走る。
途中、来止臥野営場に寄るも残念ながら霧、見事な景色今年は拝めず。
帰りは農道、道道を乗り継ぎ帰る。すばらしき道なり、坂の向こうの景観に予感を覚え、後戻りしつつ脇道に入ることを繰り返す。概ね期待を裏切らず。ここでも幸福を得る。
夕餉は牡蠣、生、焼き共に旨し。
この時期のタラバ蟹は殻を買うがごとし、肝腎の身が少ない。

4日目 小雨模様、気温低し。
雨の日の撤収ほどいやなものは無い、思わずぶつぶつ言いながら作業をしていた。危険な人間と思われると思い、隣の奥さんに弁解すると笑われた。
朝の予報により網走での1泊を決定。
北海ホテル朝食込み3900円。初日の疲れを取るため、のんびり過ごす。近くのラーメン店で夕食とする。初老のご婦人の造る野菜塩ラーメンは期待に違わず野菜の旨味を感じ美味。聞けば女満別の野菜であり、直に仕入れをするとのこと。

5日目
曇り、時々日が射すものの寒い。
朝ご飯を腹一杯食べ、午前11時までバイク整備に専念。
能取岬に立ち寄るが残念ながら曇りに強風、知床方面は天候が悪いことが遠望できたため南に進み根北峠を越える。
山の向こうは晴れていた。
北19号経由にて開陽台へ行く。雲は多いものの霞少なく眺望良くソフトクリ
ームも旨い。
その後、中標津の森林公園へ向かう。
広いキャンプ場にテントが三つだけ、子育て中のカラス横暴なり、パンを取られる。狐が急降下にて追いかけられるのを見る。しかし、これも親心なんだな。
夕餉には斜里で購入したツブ貝を塩ゆでにして食す。
白貝は8月解禁だそう。

6日目 晴れ
愛媛松山から来た初老の方と話す、温厚な人、既に1ヶ月の旅と聞く。
7時半出発 農道や坂道の散策をしつつ、養老牛経由で裏摩周展望台へ行く、快晴の摩周湖を拝む、感謝の一言。他の方々とも喜びを分かつ。
神の子池には初めて行く。
先の展望台で一緒だったGL400の若い女性ライダーとすれ違う。古いアメリカンでダートを走るのは大変だった様だが、感動で満面の笑み。こちらまで嬉しくなる。
その後、藻琴山を越え石北峠を越えるまで寒い曇りが続く、トンネルを出た瞬間青空が待っていた。
大雪の山々が緑と青空に映える。ここで気持ちが動き三国峠に行く、ここでは青空が見えるものの曇り、それでも橋の向こうに見える原生林を見渡せた。
引き返すも層雲峡は雨、32年前に泊まった青少年旅行村を横目に走り去る。
当時は熊が出そうで恐かった。
翌日会った人に、実際1週間前に熊が出た事を聞く、キャンプ者も我々だけだった事を納得した。
今は周りも開けたので大丈夫であろう、いつの日か再泊してみたい。
谷を抜けると晴れが待っていた。そのまま夕日の中、美深のアイランドキャンプ場へ走る、18時着。
連休初日でテントの数の多いこと。夕餉はセイコーマートの100円総菜を主役に食す。
セイコーマートが関東にできることを願う。品揃え豊富、安い、旨いの三拍子が揃っていると思う。

7日目 晴れ
朝7時半出発 連泊のため身軽、バイクも軽やかに走る。
音威子府経由浜頓別クッチャロ湖キャンプ場に行く。
やはり良いキャンプ場である。ここを連泊ベースにしなかった事を少し後悔する。
去年、時間の関係で払えなかったキャンプ料200円を払い笑われた。
クローバーの丘は、何とものどかな良い風景である。
久しぶりにエサヌカ線を通る。道ばたに撮影会の如くライダーが複数居る。皆、子供に戻り楽しそう。
宗谷岬では樺太を遠望できた。
例の給油所の土産は素朴で大好きだが、忙しそうだったので給油を断念。
宗谷丘陵探索にと坂を登る。これまでは通りすぎるだけで無念に思っていた。今年は連泊にして時間にゆとりを取っている。
あの道この道、あの丘の向こうはと期待に胸が躍る。今回偶然にも運良く貝殻の道に出る、良く締まっており走りやすい。
丘に登る白い坂道の向こうには感動が待っていた。緩い下り坂、目を上げるとそこには深い青の宗谷湾、稚内市街とその背後の丘陵、利尻富士といったすばらしい景色が広がっていた。反対側を登ってきたトレッキングの御夫婦と会話する。彼らも振り返った景色に喜びを隠さず、進む先の景色にわくわくしている様だった。
下りきると大きな道に出たので、夕陽ヶ丘PA経由時計回りで稚内の森林公園付近へ向かう。
稚内西側の集落の素朴な雰囲気が好きであるが、道ばたの交通安全の手作り人形も面白い。
途中ノシャップ岬にも寄る。
やはり良い天気で開基100年塔から風景を眺む。
北の厳しい風土を感じつつ、樺太との往来が盛んな時代の稚内を思う。タイムマシンが欲しいと思うひととき。
利礼の丘の入り口まで行くが、道は悪路のまま、私のバイクでは無理と諦めて引き返す。
稚内市内で猿払産ホタテを買ってオロロンラインへ向かう、この道は南から北へ向かう方が良いかもしれない。
利尻富士が自然に目に入らない位置なのである。何度も首を右へ振り向けながら走ることになった。それでも幸せなのではあるが。
途中、シェルターを抜けた後、風車の手前から国道40号線へ抜け、音威子府経由でキャンプ場へ戻るルートを取る。この道も好きな道ではあるが、警察の方々が多い道でもあるな。
音威子府では地元の高校生と話す、真面目で昔の人のよう。
温泉の後の夕餉はホタテ、やはり旨い。大きくて3枚で満足、日本酒が合う、残りは隣のキャンパーに差し上げる。満面の笑みで受け取ってもらえた。
北海道のホタテはいずれも旨い、しかし鮮度は東京では買えない。

8日目 晴れ
朝8時出発 撤収もてきぱきと終え仲良くなった60代70代のキャンパーの方々とおしゃべり。皆さん朗らかな人、御夫婦も多く全国から集まっている。
一カ所で1週間はのんびり過ごすそう、こんな老後は羨ましい。ファミリーキャンパーも多く子供達が走り回って居たが、それを眺めるのも楽しかった。年のせいか?美深町はホスピタリティーが豊かで良いと一人の方が言っていた。
上富良野日の出キャンプ場までの旅なのでのんびり走る、知恵文のひまわりはまだ咲いていないが回り道で通る。
士別で郵便局に寄ったり買い物をする。
国道を外れ旭山動物園方向への道道へ入る。脇道にそれたり道草しながら走る。
この辺は警察が多くレンタカーが捕まっていた。せっかくの旅なのに。
空港の脇を抜け、更に南側の農道に入り松の森の間の坂を登る。しばらくこの付近の農道を低速で散策する。良いところであった。
農家の御婦人によると松の森は秋には紅葉しそれは素敵とのこと。
それにしても素敵という言葉を久しぶりに聞いた気がする。
くだんの御婦人は「素敵」の言葉使いが似合う人であった。
美瑛を左折し十勝岳に向かう、やけにレンタカーや観光バスが多い、ほとんど青池に吸い込まれていった。
旅行代理店はツアラー情報を熱心に研究しているようだ。十勝岳は登ってみると雲が少なくなっていた。
ありがたく山を拝み下界を眺め上富良野へ下った。
夕刻、テント設営後、江花パノラマロードと千望峠に登ると風景は夕日に染まっていた。帰りに寄ったスーパーの安いこと、少なくなった米と刺身を買って帰る。
売り場の人によると北海道でも旭川界隈はスーパーの激戦区だそう。
夕餉は豚肉のショウガ焼きにマグロの刺身と特色なしであった。

9日目 晴れ
朝7時出発 美瑛の畑を飽きもせず走るが、ケンメリの木はやはり好きである。
バズの曲も自動的にリフレイン、あのCMは少年時代の思い出と共にある。麦が茶色くなっていてマイルドセブンの丘も雰囲気良し。
北西の丘、駐車場トイレの前の売店でジャージー牛ソフトクリームを食す、今回最も美味しいソフトクリームだった。開店前で出来上がるまで待たされたが正解であった。
千代田の丘をあたりを抜け国道を横切りジェットコースター道路を通って江花パノラマ道路西側周辺の農道を散策、丘の上へ登る坂道を探す。期待を裏切らない坂道があった。
続く道を進むうちに、江花パノラマロード付近に出る。
道道985をラベンダーの盛りを遠望しつつ南下するも、途中木炭を落とし紛失する。
まだ温室ものである茹でトウキビもそのサービスのメロンも美味しかった富良野に別れを告げる。
次は二風谷のアイヌ関係の資料館二カ所へ行く、館員の方々に色々と話を聞く、次回は時間にゆとりを持っていく事にする。良い宿題ができた。
その後、前から行きたかった東千歳バーベキューに行き鶏と野菜炒めを注文する。多いので持ち帰りも考えたが全部食べてしまい、これがその日の夕食となる。
旨かった。有名な天井は改装したようで油が落ちてこなかったのは残念。以前の天井を見たかった。
キャンプ場を探したが諦めて支笏湖の樽前荘に泊まる。到着は20時であった。
連休直後なので空いていた。御主人と泊まりの方々数人の話を聞いた後22時には寝る。
私はキャンプ中心なのでライハにはあまり縁がないが、樽前荘は景色の良い清潔で落ち着いた良い宿だと思う。

10日目 晴れ強風
午前10時過ぎ出発。
5時前には目が覚める、順調な旅の証拠だと思う。
朝7時からバイクの整備を始める。OHVのBMWは定期的なバルブ調整が必須である。症状が出はじめていたのである。
途中、宿泊の方や出入りの職人さんが面白がって見学、質問していく。それはそれで楽しい会話であった。
苔の洞門に行くが、崩落の表示を誤解して入らなかった。後で聞くと2、3年前からそうで、展望台から見ることになっているそうだ。宿題追加。
32年前通って以来走っていない海岸線沿いの国道36号線を走るべく苫小牧に南下、地球岬を目指す。
道中強い横風である、ずっと先の大沼公園まで吹き続けた。
後に青森の方にこれが「やませ」だと聞く。
地球岬は霧もなく晴れ、稜線上の道を東進しトッカリショ岬の崖も望み室蘭を離れる。
尚、白鳥橋は強風のため避けた。特に大荷物のバイクには危険きわまりない。
明石、名古屋湾岸、本当に死ぬかと思った事が何度もあった。
吊り橋は見た目に美しいが走る者への暴風対策は無いに等しい。
更に西進南下を続けると期待通り駒ヶ岳が見えてきた。
名山だと思う、見る位置で形が違うがいずれも美しい。17時に東大沼キャンプ場に到着。
この数年、横を通っても入ることもなかった。
ここも32年前の旅
の思い出の地である。砂地だった場内が草地になり、木も大きくなっていた。昔の入り口はボート小屋がある方だったと思う。その周辺にテントを設営した。
風が強かったので先にキャンプしていた丹波篠山のカブツアラーと相談して張る。
私のテントはムーンライト2なので張り位置によっては風よけになるのだ。
夜は周囲のツアラーも集まってささやかな宴会となった。
丹波の彼は51歳と私と同世代のだがその料理のうまさ、手際の良さには感心した。
瞬く間に料理を進め、そのどれも美味しかった。
今回の旅で残った手持ちの食材のほとんどを提供した。
特にマヨネーズを使った裏技にはビックリであった。以後の参考とする。
最後は眠くて朦朧としてしまったが23時半過ぎに寝る。

11日目 晴れ強風
午前7時出発
昨夜は遅かったが5時には目が覚める。さほど飲まなかったので酒は残っていない。
午前9時半の大間行きに乗るので撤収を急ぐ、皆は寝ているので音を出さないようにしたが丹波の彼を起こしてしまった。
「もう1泊したら」と進められたが既に決意していたので気持ちは揺らがなかった。
今回の旅も満足のいくものであった。
7時半には港に到着、9時には船上の人となり函館の町に別れを告げた。

思い出しながら書いていたら、ついつい長くなってしまい申し訳ありません。
以上が、今回の旅の概要ですが、この後、青森で一泊し、八甲田、十和田湖、八幡平を回り、一気に東京に帰りました。
終われば幻でしょうか。
今回は地元の方も含め、色々な方々と話す機会も多かったです。
書ききれない事も多数ありますが、楽しい旅でした。

管理人様には貴重な情報の場を提供いただき、常々感謝いたしております。
維持は大変なことと存じますが、今後とも御継続の程、宜しくお願い申し上げます。



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